9/2(土)“わたしの夢”応援プロジェクト vol.12 『ちばてつやさんの“描きながら講演会”「ヒーローに夢を託そう」』いわき市内視察の様子&イベントレポートをアップしました。
2017/09/14
一般社団法人チームスマイルによる、被災地の子供たちを元気づけ、その夢の後押しをするための「“わたしの夢”応援プロジェクト」。12回目となる今回は、漫画家・ちばてつやさんをお迎えし、『ちばてつやさんの“描きながら講演会”「ヒーローに夢を託そう」』と題したイベントを、いわきPITで開催しました。
いわきへ到着した一行はその足で、イベントが始まる前に、まずは市内視察へと向かいました。
一ヶ所目の薄磯海岸へ向かうバスの中では、矢内代表から「当然子供のときから知っていたので、初めてお会いしたとき『あの、ちばてつや先生だ!』と思った。エンジン01文化戦略会議のメンバーに入ってくださって、とても嬉しかった」と、ちばさんとの縁が語られました。
また、ちばさんもチームスマイル活動のことを知り、「行き詰ったりしている人をなんとか励ましたい、という気持ちを持った人がたくさん集まっていて、偉いなぁと思った」と。そして「僕も戦争のときに、助けてもらうことがたくさんあった。だからというわけじゃないけど、誰か困っている人を助けたい。地球のためにも何かしたい。少しでもお手伝いできたら良いなと思う」と、復興支援への思いを話して下さいました。
「義理の娘やアシストタントが福島県出身だったり、福島とは何かと縁があるなぁと感じているんです」とちばさん
ある日の学校の帰り道、路上に豆本が落ちているのを見つけ、中を見てすぐに夢中になった。それがちばさんの初めての漫画との出会いだったそうです
薄磯は海が近いこともあり、震災時、いわきの中でも特に被害の大きな地区でした。津波で120人以上が犠牲となり、集落は壊滅的な被害に遭いましたが、その後、防潮堤や避難路を整備し、砂浜や海水の放射線量が震災前の数値に戻ったのを確認して、今夏には7年ぶりにやっと海水浴場を再開することができました。
薄磯海岸を眺めるちばさん。勿来(なこそ)・小名浜・永崎・豊間・四倉・久之浜とともに、南北60kmにわたる「いわき七浜」と言われる七つの海水浴場のうちのひとつ
薄磯海岸に立つ「塩屋埼灯台」は、木下惠介監督の映画「喜びも悲しみも幾歳月(1957年公開)」のロケ地にもなっています
薄磯海岸には、「塩屋埼(しおやざき)灯台」が建っていて、その近くには美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌碑があることでも知られています。「みだれ髪」は塩屋埼灯台を舞台に悲恋を歌った、船村徹さん作曲の歌曲です。
碑に近寄ると曲が流れる仕組みです。「髪のみだれに手をやれば 紅い蹴出しが風に舞う 憎や恋しや塩屋の岬…」
次に一行は昼食のため、久ノ浜にある商業施設「浜風きらら」へと向かいました。震災前に久ノ浜にあった商店が集まり、この場所で営業を再開しました。その中にある「お食事・酒処 和」へお邪魔し、海の幸たっぷりの海鮮丼を頂きました。
浜風きららの入口。「信頼される食の提供」「笑顔をつなぐ楽しみの場の提供」「仕事(場)づくり」をコンセプトに、2017年4月にオープンした商業施設です
四ツ倉にある人気店「お食事処 和」の分店。昼は丼物がメイン、夜はお寿司や海鮮料理が楽しめます
特製海鮮丼は、豪華な海の幸がこぼれんばかりにのって、これで2,000円!
いわきの沖合いは「潮目」と言われる、暖流と寒流がちょうどぶつかるところにあり、魚の餌となるプランクトンが多く発生する豊かな漁場です。そこで水揚げされる水産物は「常磐もの」と呼ばれ、震災前から高く評価をされてきました。ただ、現在は週に1回ある試験操業で獲ったものしか、流通しません。
「美味しい!海の近くだから、やっぱり新鮮だね。私の父が千葉県の出身で、九十九里浜の近くで育ったので、海の幸は大好きなんです」と美味しそうに召し上がって頂きました
「常磐もの」を食べて育った、矢内代表。子供の頃は、よく母親のおにぎりを持って海水浴場へ遊びに行き、岩の下にあるウニをおかずに食べていたそうです
丼を頂いたあとは、浜風きらら・高木代表の案内のもと、同じ施設内にある写真展示コーナーを訪れました。こちらでは、震災時や復興途中の久ノ浜の様子を、数々の記録写真から知ることができます。
写真をじっと見つめ、浜風きらら・高木代表(左)から当時の話を聞くちばさん(中)、矢内代表(右)
津波だけではなく、火災の被害もひどかった久ノ浜では多くの人が家を失いました
悲惨な様子に、思わず言葉を失くすちばさん
浜風きららからほど近いところに、「奇跡の神社」と言われる「秋義(あきば)神社」があると聞き、一行はそちらへ向かいました。
この神社がなぜ「奇跡」と言われているかというと、海辺からわずか40mほどのところに建っていたのですが、震災時に周囲の家や建物は全て流されてしまったのに、この神社だけが、ほぼ無傷でぽつんと残っていたのです。
ちばさんは、その姿を見るやいなや「境内に入っても大丈夫ですか?」と、ぬかるむ道を渡り本殿の前へと向かいました。そして小雨が降る中で腰を降ろすと、おもむろに神社のスケッチを始めました。
鳥居は流されてしまったものの、拝殿は地震でも崩れず、津波や火事にも遭わず、そのままの姿で奇跡的に残りました
ぬかるむ道を渡って、拝殿の前へ向かうちばさん。傘を持ったスタッフも慌てて、後を追いかけます
秋義神社で、手をあわせるちばさん。背中越しに波の音が聞こえるほど、すぐ近くに海があります
台風15号が近付いていて、雨が降る中、腰を下ろして秋義神社のスケッチを始めます
真剣な眼差しで、秋義神社を見つめるちばさん。「周りの建物は全部流されたのに、これだけが残ったなんて、本当に不思議だな」
10分ほどで、描き上げたスケッチは、後ほどのイベントで披露されることに
奇跡の神社・秋義神社を最後に、市内視察を終えた一行は、イベント本番のためいわきPITへと向かいます。
今回は、180名ほどのお客様をお迎えしました
イベントが始まる前に、今回密着取材中の「岩手めんこいテレビ」によるインタビューを、ちばさんに受けて頂きました。市内視察を振り返り、「台風が近付いていた影響で、海が荒れて天気も良くなかったけど、天気が良かったらすごく綺麗だったんだろうな。いわきは自然の恵みが溢れるところだけど、海岸に長い堤防が出来ていた。せっかくの美しい海が見えないのは、とても残念」とちばさん。
「震災が起きて、自分なりに色々調べたのだけど、『鎮守(ちんじゅ)の森のプロジェクト』というのがあることを知った。根の深い木々を植えることで、津波が来ても波にさらわれないんだって」と、自然保護と防災の二つの役割を果たすアイデアに興味があることも話されていました。
インタビューの様子は、後日、特別番組で放送予定です。放送日時は決まり次第、チームスマイルのSNSでお知らせします
「“わたしの夢”応援プロジェクト」の企画制作担当・戸塚の司会進行でいよいよイベントが始まりました。ちばさんが登場すると、大きな拍手が沸き起こります。市内視察に回ったお話から始まり、秋義神社でのスケッチもここで公開されました。
イベントの冒頭で、秋義神社でのスケッチを披露。拝殿の前で手を合わせているのは、チームスマイル矢内代表
続いて、本日のお客様全員にプレゼントされる、オリジナルのイラストを描いて頂きました。司会から「どんな絵でも構いません」と言われて、ちばさんが描いたのは、「おれは鉄兵」の主人公・上杉鉄兵。
「眉毛がつながってるところがやんちゃなんだ」と言いながら鉄兵を描くちばさん
鉄兵は大酒飲みでイカサマ師、さらに女好きという奔放な中学2年生。被災地の皆さんへのメッセージも書いて下さいました。これを複写したものが来場客へのプレゼントとして配られました
続いて、イベントの第一部として、ちばさんご自身による、自作解題のコーナーが始まります。
「あしたのジョー」の解題コーナーでは特に話が弾み、「戦争でひもじかったことを思い出し、目の前に水があるのに飲めないのはなんと辛いことだろう、と想像しながら描いた。過酷なトレーニングを描いているうちに、自分ではなんとか頑張って欲しいと思いながら描いているのに、力石徹にだんだん死相が出てきた。薄暗いバーで、サングラスをかけた原作者の高森朝雄さんと『このままだと力石は死ぬ』『ダメだよ、力石を殺しちゃ』と真剣に話していたら、それを聞いた店主が驚いて通報してしまい、警察がやってきた(笑)」というエピソードも披露して下さいました。
※『』は作品名、「」はちばさんのコメント
『1・2・3と4・5・ロク』
「こんな家庭がもてたらいいなぁと思って描いたホームドラマ。そしたら不思議なことに、偶然この作品と同じように5人の子供に恵まれた。誰かに描かされたんじゃないか、と今でも思う作品です」
『紫電改のタカ』
「特攻隊として散っていく少年の話。自然災害もとても辛いことだけど、人間の手で止められるはずの戦争が、今でも世界中で続いている。自ら戦争の悲惨さを体験し、戦争は決してカッコいいものではない、と子供たちに伝えたくて描いた」
『あしたのジョー』
スクリーンに映っている力石徹は、ちばさんがその場で描いたもの。力石の横顔は、ナポレオンの肖像画がモデルになっているそう
『おれは鉄兵』 「子供っていうのは、こういう風に野生味があって欲しいと思って描いた。泥だらけになって遊んで、時々はケガするくらい喧嘩したっていいじゃない。それで大人になって初めて、人の痛みがわかったりするんだ」
休憩を挟んで始まった第二部では、今回のメインテーマである「ちばさんが思う『ヒーロー像』」についてお聞きしました。
自分のヒーロー像について聞かれ、明治から昭和の戦時中を生きた政治家・斎藤隆夫さんや、僧侶・竹中彰元さんを例に挙げ、「その時代に勇気をもって『戦争は危ない!』と、声をあげた人たちはとっても偉いなぁと思う」とちばさん。
そして、最近あった出来事を例に「脊椎間狭窄症を患っているのですが、この間電車に乗ったときに席が空いていなくて困ったなぁと思った。そのうち席が空いて、そちらへ向かおうとしたら、男の子がひゅっと座った。だけど、私が近付いてくるのに気付いて、何も言わずに立ち上がってドアの方へ行ってくれた。私のことを気にかけてくれたんですね。痛くて痛くてしょうがなかったので、すごく助かった。お辞儀をしようと思っても彼は下を向いていて、降りがけに『ありがとう』と言ったら、『うん』と頷いてくれた。そのときの私には、その子がヒーローに見えた。だから、ヒーローというのは誰にでもなれるんです」ともうひとつのヒーロー像についても語って下さいました。
「誰でもヒーローになれる」と言いながら描いてくださった、貴重なちばさんの自画像
ちばさんの手から思わぬ人気者が出現!「お腹が空いている人に、自分の一番大事な部分である顔を分け与える国民的ヒーローだよね」原作者のやなせさんも公認だそうです
終演も迫る中、「ちばさんの作品は絆を感じさせるものが数多くありますが、何か絆を感じさせるキャラクターなどを描いて頂けないでしょうか」というリクエストに、「絆ということではないけれど…」と言ってちば先生が描いてくださったのは、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈。
第一部で描かれた力石徹と、スクリーンで向き合うジョー。観客の誰もが強い絆を感じた瞬間でした
今回の“描きながら講演会”でちばさんが描いた直筆のキャラクターたち。壮観です
あっという間に第二部も終わり、最後のQ&Aのコーナーでは、2名の観客から質問を受けしました。
1人目は、映画「あしたのジョー」のパンフレットを持った男性から、「映画『あしたのジョー(2011年公開)』が公開されてすぐに、震災が起こった。震災が起こらなければ、続編も出来ていたかもしれないのに。あの映画をご覧になってどう思われましたか」との質問。
ちばさんは「震災が起きたときは、自粛ムードで電気もつけられない、そんな状況だったから仕方ないよね」と当時を振り返りつつ、「あの映画の脚本を最初に見たとき、面白いと思った。今の時代、CGで加工することもできるのに、出演者の山下智久(矢吹丈役)さんや、伊勢谷友介(力石徹役)さんは、役作りのために一からボクシングを習ってくれて、身体も本当に絞ってくれた。いい作品だと思いました」と答えました。
2人目の女性からは、「好きなキャラクターと、好きな色を教えて下さい」という質問。
ちばさんは、「漫画家はみんな同じことを言うけど、キャラクターはみんな自分の子供みたいなもの。だから誰が好きということは言えないけれど、強いて言えば『おれは鉄兵』の鉄兵は、ずっと気になる存在です。どうしてるんだろうな…と、今でも考えてしまう(笑)」と鉄兵への愛情を覗かせてくれました。
好きな色については、「その日によって違うけど、誰かに『ちばさんのラッキーカラーはオレンジだよ』と言われた。今日はオレンジのものは身につけていないけど、下着とかにはこっそりオレンジを選んだりするかな(笑)」と茶目っ気のある答えも。
まだまだ手が挙がる中、この質問を最後に、惜しまれながらの閉幕となりました。
イベント終了後にガッチリ握手する、チームスマイル矢内代表(左)とちばさん(右)。またひとつ絆が深まりました
講演会後に開催されたサイン会は大盛況。思い思いの品を、大切に持ってきて下さった観客一人ひとりに、丁寧にサインをするちばさん。最後まで優しさのあふれた講演会でした